運営者情報

基本情報

HKオンラインドラム教室の代表の川島広明です。

はじめまして。HKオンラインドラム教室の代表の川島広明と申します。

1994年からドラムを始め、様々なバンドで活動してきました。2007年にはニューヨークでジャズを含む多様なスタイルを学び、2008年から東京でドラマー、ドラム講師として活動を始めました。

その後、キューバや南米で音楽を学んだ後、2013年には自身のドラム教室を開設し、2020年のコロナ禍をきっかけにオンラインドラム教室の準備を始め、2023年に【初心者のためのHKオンラインドラム教室】を立ち上げました。

27年間の経験を経て、2008年から千葉県で2000人以上にドラムを教えてきました。多くのバンド活動、講師活動の経験をこのブログに残していけたならいいなと思います。

運営目的

HKオンラインドラム教室

2020年の緊急事態宣言をきっかけに、対面レッスンが難しくなったため、オンラインでの教育に移行し、【HKオンラインドラム教室】を立ち上げました。

このドラム教室では長年のレッスンノウハウをデジタル化にして、全国の初心者ドラマーのみなさんに提供し、丁寧なレッスンと徹底したサポートを通じて、趣味やバンド活動など音楽を楽しむためのサポートを行っています。

このブログを通してオンラインドラム教室の魅力を伝えていきたいと思います。 

少年時代から現在まで

音楽を聴く毎日

音楽を聴く毎日

1980年代の小学生時代から音楽を聴き始めました。当時はウォークマンというポータブルタイプのカセットプレイヤーがあり、カセットに好きな曲を録音して何回も聴いていました。

特にCHAGE and ASKAが大好きで、シングルやアルバム、ライブビデオ、PV集など多くのメディアを集めていた思い出があります。ライブビデオを見ると、ドラムは菅沼孝三氏が叩いていて、かっこいいなぁと思いながらドラムの演奏をよく見ていました。

1990年代の中学生になると、CHAGE and ASKAの他に、ミスチル、DEEN、ブルーハーツなどの邦楽を聴くようになりました。しかし、音楽は聴くだけで楽器を始めようという発想はありませんでした。

部活動も男子は体育会系で、女子は文化系という風潮があり、当時はNBA全盛期で、漫画のSLAMDUNKの人気が急速に上がっていた時期でもあり、バスケットボールを選択しました。そんなに好きなわけではなかったのですが、なんとなく入部しました。

弱小バスケ部なのに練習がきつかったですが、なんとか3年間続け、特にやりたいこともないので、なんとなく高校に進学します。

ドラムに出会う

ドラムに出会う

1995年4月、高校に進学しましたが、部活動には入らず、教室の片隅で友達がギターを弾いていたので興味を持ちました。初めて生のエレキギターの音を聴き、結構感動してその友達のバンドに入れてもらいました。

そして高1の文化祭のバンド発表まではギターを練習していたのですが、その文化祭を最後にドラマーが抜けることとなったので、私が代わりにドラムを担当することになりました。

ここで初めてドラムと出会います。最初はバスドラムが難しいから、足の練習はしないで、両手の練習ばかりしていました。決して上手くはないですが、ギター以上に楽しかったことを覚えています。

バンドを抜けたドラマーに教えてもらいながら少しずつ上達していきました。

しかし、基礎練習などはやらず、好きな曲ばかりコピーする日々です。主にThe Blankey Jet City、L’Arc-en-Ciel、GLAY、The Yellow Monkey、GREEN DAY、Hi-STANDARDなど90年代を代表するロックアーティストです。

高1の文化祭から残りの高校生活は遊びとバンドとドラムの毎日です。

挫折を味わう

ドラム人生で挫折を味わう

高校3年間は音楽とドラムに費やしたため、ドラムに関しては自信がありました。自分でもドラムをマスターしたつもりでした。ドラムばかりやっていたので、大学受験には全て失敗しました。内心、ドラマーになりたいと思っていたのでしょう。

1998年3月に高校を卒業してからは1年間浪人生活となります。この時期に御茶ノ水の楽器店でデニスチェンバースの教則ビデオを買いました。世界にはこんなレベルの高いドラマーがいるのかと衝撃を受けたことを覚えています。これがきっかけで独学では限界だと思い、ドラムを習いにいきました。

そして来年からは音楽の専門学校へ行きたいと思いました。ドラムには自信があったため、もっと上手くなりたいと思い、専門学校に体験入学をしました。

ここで講師の方の演奏を聴いて圧倒され、さらに自分の演奏を聴いてもらい、ダメ出しだらけのコメントをいただき、自信があったドラムの道も閉ざされました。高校3年間で基礎練習をしなかったツケがまわってきたのです。

人生で一番落ち込んだ日だったかもしれません。結局、ドラマーへの道はあきらめ、なんとなく大学に進学します。

バンド活動へ

バンド活動開始

1999年4月、大学に入ってもドラムは好きなので、最初の2年間と、3年生から別の大学へ編入してからの2年間は、両方とも軽音楽部に入部しました。この軽音楽部で出会った友人とバンドを組んで「NoizeHead」を結成し、都内で活動しました。

ここからはバンドの曲を作ったり、チラシやホームページを作って宣伝したりしていました。シングル曲やオムニバスアルバム、自主制作アルバムを作り、ライブハウスで売る日々です。そんな活動をしながら、バンドでは生活していけないと少し感じていました。

バンド活動していて感じたことが、私はバンドが好きではなく、ドラムが好きなんだということです。バンド活動することも好きでしたが、何よりドラムを演奏することが好きだったのです。

なので自分のバンドでなくて、サポートドラマーでもよいと思うようになっていました。そしてロックをはじめ、ジャズやファンクなど多くのジャンルに対応できるようなドラマーを目指したいと思うようになりました。

しかしながら、現実を見て、とりあえず生活費を稼がないといけないと思い、前々から興味があったITエンジ二アの道へ進みます。

ITエンジニア時代

ITエンジニアになる

実は私の中でドラムと同じくらい好きだったことがあります。それはIT技術でした。大学の専攻も情報系です。バイト先にパソコン好きの友人にITのことをよく教えてもらっていました。

高校生だった時にWindows95が発売され、初めてパソコンを触り、後にカラフルなiMacを買って、バンドのホームページを作ったり、プログラミングやネットワークの勉強をしながらインターネットの仕組みを学んでいました。

23歳のときにバンド活動をやりながら、IT企業に就職して、ネットワークエンジニアとバンドを並行してやってきました。当時はブラック企業という言葉はなかったので、仕事はかなり忙しかったですが、好きだったので続けることができました。

港区役所、品川区役所、国立国会図書館などのネットワークセキュリティを高めるためにファイアーウォールを設置したりしていました。二度と味わえない経験をさせてもらえたことが良い思い出になっています。

人生の岐路へ

結婚かドラムか起業か?

ネットワークエンジニアとバンドをやりながら26歳になりましたが、仕事が忙しく、バンドメンバーともスケジュールが合わず、仲が悪くなり、19歳から8年活動した「NoizeHead」は解散となりました。

バンドが解散になったこの頃から今後、何をして生きていくか疑問を抱く様になりました。この課題に関しては30歳までに決めたいとぼんやり思っていました。この時コツコツ貯めていた貯金が300万円あり、選択肢は3つありました。

3つの選択肢
  1. 当時付き合っていた彼女との結婚式費用に全額使う
  2. IT会社を起業するときの資本金として全額使う
  3. プロドラマーを目指すための留学先の学費に全額使う

この3つの選択肢で迷っている間に彼女にフラレました。私と一緒にいると、この先の未来が不安定すぎたのでしょう。この時点で1番は消えました。残りは2番と3番です。

これからはITが主流となると言われ、この頃「後10年もすれば会社に出社しなくてもよくなる」と言われていました。今後のことを考えるとIT会社を起業したほうが安定した収入が得られるかもしれません。

今後のことを考えるとIT会社でしたが、しかし、今すぐやりたいと思っていたのはドラムでした。そんな時、友人に誘われて、あるバンドのライブを見に行きました。

そのバンドのドラマーはロサンゼルスに音楽留学の経験がある方でした。その方に影響を受け、私は自分でいろいろと調べ、アメリカのニューヨーク:ドラマーズコレクティブへの留学費用に貯金300万円を使うことに決めました。

そして留学へ

ドラム留学へ

2006年12月、27歳になった年の年末に会社を辞めました。年明けからは留学の準備とドラムの練習に時間を使いました。完全に迷いがなくなった状態です。アメリカへの出発日は3月末です。

留学の準備、大使館でのビザ取得、学費の振込み、学校との英語のメールのやりとりなど、すべて自分でやりました。自分でやることに意味があるように思えました。貯金で学費と生活費を賄うので、アメリカで働く気はありません。全ての時間を音楽とドラムに使える状態です。

アメリカから帰ってきたら何をしようかという不安はありましたが、帰ってきてから考えようという結論に至りました。帰ってきてから考えるのは、【留学経験を積んだ自分】なので、現在の経験を積んでない自分が考えたところで意味ないからです。

2007年3月末、アメリカへ出発の日です。はじめての一人暮らしがアメリカなので不安でいっぱいです。成田空港まで不安でしたが、飛行機に乗ると不安は消えました。もう引き返せないからです。

12時間程飛行機に乗り、アメリカのJFK空港につくと、目の前には映画で見たことある景色が広がっていました。夜18時頃着いて、雨が降っていて、薄暗いオレンジ色の街灯、路上に転がっている新聞紙やゴミ。今でも覚えています。

住む家も決まっていない状況で来ているので、まずは家探しして、1週間後には学校が始まります。着いてから4日目になんとかブルックリンで住む家が決まりました。

そして学校が始まり、ドラムの授業が始まりました。私は今まで以上に上手くなりたいという気持ちでここにやってきましたが、まさか今までやってきたことを全否定されるかとは思ってもいませんでした。最初の2ヶ月は今までやってきたことを修正するということでした。要はできていると思っていたことが全くできていなかったのです。この修正する時間に2ヶ月を使いました。これには結構労力を使いました。

学校では楽譜の読み書き、各ドラムスタイル、アンサンブル、個人レッスンなど多くの授業がありましたが一度も休むことなく、練習し続けることができました。平日は授業があるので6時間程度、休日は1日中時間があるので10時間くらい練習していました。

起きている時間の全てをドラムに捧げられるので、こんな幸せな日々はないと思う程でした。昨日できなかったことが、次の日にはできるようになっているのです。1日単位で成長を感じることができました。

そして夜になれば、学校の近くで世界レベルのミュージシャンがライブをやっています。こういった環境も含めて、ニューヨークを選びました。

2007年12月、約8ヶ月間の留学生活を終えて帰国します。飛行機から見えるマンハッタンを見ると少し涙が流れたことを覚えています。

日本に帰ってくると、予想通り、留学する前の不安におびえている自分はもういなくて、【留学経験を積んだ自分】は前向きに考えられるようになっていました。

ドラム講師になる

ドラム講師になる

帰国後、再び音楽活動を開始します。数々のバンドのサポートとして、またSoul Allow Music、Cyta、島村楽器にてドラム講師を務めることとなりました。

今までやってきたアルバイトや正社員の仕事とは全く違った仕事でした。生徒さんのやりたい曲の楽譜を書いたり、教材を作ったり、どのようにして教えたら伝わるのかということを日々考えていました。

メインとして教えていた島村楽器では週4回で90人程に教えていたので、レッスンや発表会など多くの経験を得ることができました。

講師として多くの経験をさせて頂きながら、何か心残りがあり、ニューヨークを始め、世界のミュージシャンとセッションがしたいという気持ちが残り続けていました。いつかまたニューヨークへ行きたいという気持ちがありました。

そんな時、2011年3月11日に東日本大震災が起きました。死を感じた私は2011年10月に講師業を辞め、再び海外へ渡航計画を立て始めました。

再びニューヨークへ

再びニューヨークへ

仕事を辞めて、まず関東のジャズクラブを周ってセッションしにいきました。車で走りながら、茨木や栃木、群馬でセッションしました。

そしてその後、キューバ音楽が好きだったのでキューバに1ヶ月程行きました。そこでは毎日ライブを見に行きました。当時キューバは世界との国交がなかったので、日本でキューバのCDがあまり発売されていない状況でした。ですので、帰国する時に自分の衣服を捨てて、CDをリュックに詰め込んで帰ってきました。

そしてキューバから日本に戻ってきて、ニューヨークに行く準備をしました。やはり世界のミュージシャンはニューヨークに集まっているのです。再びニューヨークに行き、田井中福司氏に師事して、有名なジャズクラブのクレオパトラニードルやスモールズでセッションしました。

やはりニューヨークのジャズは世界でも最高峰なので、とてもハイレベルです。他の国も周りたかったのですが、ニューヨークが楽しすぎて7ヶ月も滞在してしまいました。

最後に帰国する前に中南米の音楽も触れておきたくてペルーやボリビアに寄り道しました。ここではマチュピチュを観光したり、昼はスペイン語を習ってみたり、夜はライブやプロレスを見たりして遊んでいました。

ドラム教室開講

ドラム教室開講

南米からの帰国後、今までの人生の経験を活かせるようにと個人でドラム教室を立ち上げました。ホームページを作って集客して、申し込みが来たら、音楽スタジオを使ってドラムを教えるドラム講師業です。

また同時に音楽活動も少しずつ再開させていきました。2016年には純烈のサポートの仕事もやらせていただきました。

しかし2020年のコロナ禍の緊急事態宣言を期に生徒さんがレッスン来れなくなってしまいました。ですのでこの頃からドラム教室のオンライン化を模索するようになっていきました。

HKオンラインドラム教室開講

HKオンラインドラム教室開講

2022年からは対面レッスンを辞めて、ドラム教室のオンライン化に伴い、オンライン講座を作り始め、150以上のレッスン動画を作りました。そしてこれらの動画を2023年にホームページにて発表して、2024年1月からはオンラインレッスンの受講も可能になりました。

詳しくはこのページの下部の【ドラムを始めるならHKオンラインドラム教室がおすすめ!】をご覧ください。このオンラインドラム教室に私の経験してきたこと全てを載せていくつもりです。

半生を終えて

半生を終えて

40年以上生きてきて思うことは、前述の通り、なんとなく高校へ行ったら、そこでドラムと出会い、好きになり、練習して上手くなりました。

さらにたまたま働いていたバイト先の友人に教えてもらいIT技術を好きになり、インターネットについて学び、エンジニアになりました。

またジャズを好きになりニューヨークへというように【好きな〇〇】というは、とてつもないやる気を引き出してくれてるように思います。

そして好きになるための絶対条件は【出会い】です。出会わなければ好きにもなりません。

それではどうやったら出会えるのかという質問をよく受けますが、正解はなく、言えることは行動することだと思います。

行動したら、たまたま好きな人や好きなこと、好きな〇〇に出会うのです。

宝くじと同じですね。

超情報化社会になって全てを理屈化する癖がついている世の中で、保証や結果がないと行動に移せない方々が増えているように思いますが、頭で考えるのではなく、したいことや見たいことを大切にして、好奇心に引っ張られるように行動していけばよいのではないでしょうか?

その結果、出会う場合も、出会わない場合もありますが、人生でたった1人、またはたった1つと出会うだけで十分です。それが結婚相手だったり、一生していく仕事になったりします。

全てはたまたまなので・・・

経歴

ドラムの経歴

1994年:元ブランキージェットシティの中村達也に憧れ、ドラムに目覚める。

1997年:初めてデニスチェンバースの演奏を聴き、本格的にドラムの練習に打ち込む。市川宇一朗氏に師事。

1998年:芸術演奏集団「NoizeHead」にて活動開始。東京、千葉、神奈川でライブ、ラジオ、レコーディング等の活動を行う。

2005年:SDC MusicよりオムニバスCD「SDC Culture R」を全国発売。

2006年:アルバム「来世」を発売し、「NoizeHead」解散。Rockバンド「THE LADYBIRD JANE」にてサポートで参加。

2007年:「THE LADYBIRD JANE」のアルバムレコーディングに参加。ドラム修行のためアメリカのニューヨーク、Drummers Collectiveへ留学。Kim Plainfield、Pat Petrilloに師事。JAZZ、ROCK、POPS、LATIN、BRAZILIAN、HIPHOPなど様々なスタイルを習得。

2008年:都内を中心に活動開始。Soul Allow Musicにてドラム講師を務める。ROCKバンド「fuzzy」、渋谷系ロックバンド「The Feltz」、JAZZバンド、シンガーソングライター「kyoko」のサポートとして参加。またCyta.jp、島村楽器にてドラム講師を務める。

2011年:「fuzzy」の活動が休止のため、講師活動に専念。

2012年:キューバ音楽に触れるため、キューバを放浪。音楽修行のため再びニューヨークへ。田井中福司氏に師事。

2013年:南米の音楽に触れるためペルー、ボリビアを放浪。帰国後、【初心者のための川島広明ドラム教室】を始める。

2016年:歌謡コーラスグループ「純烈」のライブにサポートとして参加。

2020年:コロナ禍を期に、オンラインドラム教室を模索し始める。

2022年:オンラインドラム教室のための動画制作を開始。

2023年:【初心者のためのHKオンラインドラム教室】を始める。

現在に至る。

今後の目標

今後の目標

 現在のドラム教室は対面レッスンが主流ですが、少しずつオンラインレッスンも増えてきました。しかし、まだまだ認知度は低いので、ドラムを習う時の選択肢としてオンラインレッスンが選ばれるように、オンラインの魅力を発信していきます。そしてピアノやギターに劣らない人気のある楽器にしていきたいと思います。

お問い合わせ

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    • 講師によるアドバイス付きの課題曲の添削
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